Suipedia♪~とらおとルカのおしゃべり広場~

記事一覧 > コンクール > その他 > 音楽と教育から離れる現代の吹奏楽コンクール

音楽と教育から離れる現代の吹奏楽コンクール

バンドジャーナル2014年12月号のTOPICSのコーナーに『「吹奏楽に特有の変なこと」の背景』というタイトルの記事が掲載されました。12月号というとコンクールが全て終了し、支部や全国大会の結果や講評が掲載される号です。

日本という狭い世界の中だけでまかり通るおかしな表現や本来の音楽から逸脱した演奏など、作曲家の後藤洋さんがするどい切り口で言及してらっしゃるので紹介します。

どう?コンクールの練習は?はかどってる?

うん。帰りの電車でも全国大会で同じ曲やった団体の演奏を聴いたりして研究してるよ。

あれ?そこはプロじゃないの?

え?だってコンクールなんだから、全国大会の演奏を参考にしたほうが審査員も評価してくれそうじゃない?

ル、ルカちゃん!その考えは危ないよ!

さてはあなた!全国大会への出場を阻止する他校の回し者ね!!

1.日本の吹奏楽の奇妙な表現

音楽的に大きな問題になりうる吹奏楽ならではの演奏法として挙げられるのは、曲の最後の音を不自然に長くするやり方。
これはアマチュア吹奏楽以外の音楽家は口を揃えて「おかしい」と指摘し、海外では「日本の吹奏楽の奇妙な表現」の代表としてしばしば聴衆の失笑を買う演奏法なのだが、なぜか主流となっている。 引用元:バンドジャーナル2014年12月号p.44より一部引用(writer 後藤洋さん)さん)

え!?あれって間違いなの!?結構聴いてる気がするし、私の先生もたしかそんな指導してたような・・・。「最後の音は長めにしろ」って。。。

間違いみたい。中高生みたいに若いうちは何が音楽的に正しいかが分からないからどうしても言われたことを鵜呑みにする形になっちゃうよね。

そうそう、そうだよ。上位大会の演奏でも最後の音を「ジャーン!!」ってキメてまさに「ドヤサー!!」って感じに締める演奏あるし、そういうの聴いて「あーやっぱり全国レベルってすごいなぁ。」って思ってたのに。。。正しいことばかりじゃないのね。

うん、この場合「不自然に」ってのがポイントだからあまり疑心暗鬼になるのも良くないけどね。ぼくあの最終音が異様に長くするのを「ドヤサフィニッシュ」と呼んでいるよ。この言葉メジャーになんないかな。

そこはどうでもいいわよ。


最後の音を不自然に長くする演奏はコンクールでたまに聴きます。演奏する側の中高生としては指導された通りに演奏するから何が正しいとかおかしいとかそういうことがハッキリ分からないというのも最もな意見でしょう。

もちろん、音楽に正解はありませんから、指揮者による確かな主張やこだわりをもってそういう演奏がされるのならそれはそれでアリなのかもしれません。

しかし、表現の定石は知っておいて損はないでしょう。そのためにも、コンクールの演奏だけでなく、CDでも生でもいいのでプロの演奏を聴く機会を増やしてみてはいかがでしょうか。


2.爆音問題

もうひとつは「鳴らしすぎ」の問題。本誌の記事をお読みになればおわかりのとおり、講評は「オーバーブロー」「大音量」「力が入りすぎ」「うるさい」のオンパレードである。

(中略)正門氏の好評のなかに示された考察が、そのヒントになるかもしれない。「何か『こうしなければ上の大会に進めない』というものがあるのでしょうか。少々無理をしているな、と感じる場面も多々ありました。気負い、力みといったものが肝心の『音楽』を、ましてやバンドの個性を弱めてしまっているように感じます」

鳴らしすぎも良くないね。音色に余裕がなくなるし引用にあるように『音楽』が損なわれちゃう。

う~ん。。。なんだかなあ。。。

どうしたの?

いやね、さっきの最後の音伸ばしすぎ問題にしてもこの鳴らしすぎの話にしても、私たちは当たり前だと思ってたことが音楽に精通してる人からしたらこんなにも間違ってるんでしょ?この温度差ってどこで生まれるんだろう・・・?

要因はいろいろあるだろうけど、音楽のあるべき姿と演奏時の意識が乖離してるってのも大きいね。↓この引用もさっきの続きだよ。

(中略)関西大会の職場・一般の部・大学の部の講評をされている大島弥州氏の意見も参考にしたい。「美しい世界や、優しさを表現しているシーンなのに全員が『めさぜ金賞!オーッ!!』と恐い顔で殺気立っているバンドが多いのですが、ここは音楽のコンクールです。」

やっぱり結果を重視しすぎると大切なことがないがしろにされちゃうのね。でもコンクールっていわば競い合いよね?


鳴らしすぎるあまり音楽性が損なわれるのもコンクールの演奏が抱えている問題です。ホール内を豊かに響かせる、というのはたしかに大事なのですが、豊かさが取り払われ、どこか舞台からの圧力や力みを感じる演奏があります。

こうした事態を避けるには演奏の録音ホール練習での響きの確認奏者本人の吹奏感にも注意を払う必要があると思います。


3.奇妙な表現の原因・背景

コンクールは「競い合う場」である以上、高い評価を得ること、上の大会への出場権を得ることが最大の目標となることは当然である。そして、そこには気合いも、競うための戦略も必要となるだろう。

しかし、両氏が述べているように、肝心なのは音楽なのだ。大きな音も、(おそらくは)美しい余韻を表現しようとするための音の残し方も、しっかりとしたブレスも、そしてもしかしたら「振り付け」も時には必要である。だが、それは音楽のために必要なのだ。

とにかくまずは『音楽』ありきなのね。

(中略)大音量が(音の残し方やブレスの音や振り付けも)、音楽とは無関係に独り歩きするとすれば、あるいは音楽を台無しにしてしまうとすれば、それは本末転倒以外の何ものでもでもない。

ほんまつてんとう?

物事の根本的なことと、そうでないこととを取り違えることだよ。この場合は、音楽を奏でることが根本的であるはずが、勝つことにすり替わっちゃってるんだね。

でもさ、ホントのこと言うとそういうのちゃんと分かってる指導者もたくさんいるんじゃない?なのにどうして蔓延するんだろう・・・?

でも、と疑問を呈する人がいるかもしれない。「変なこと」をしているバンドが、大音量のバンドがコンクールでは高い評価を得ているではないか、評価されたかったらそれを真似るのは当たり前ではないか、と。そのとおりなのだ。

問題は吹奏楽そのものではなく、コンクールにある。限られた時間に他の団体よりも強く自分たちの演奏を印象づけるためには、さまざまな側面で――選曲で、見た目で、インパクトのある表現で、場合によっては音量で――目立つことは大きな戦略になるだろうし、その戦略にまるめこまれてしまう審査員もいないとは限らない。

背に腹はかえられない、だね。

なんだかどんどん深刻な話になってきてる。。。変なことをしてる演奏が高い評価をもらっちゃったら結局みんなはそれを参考やお手本にするから悪循環じゃない!

そうそう、だからその辺りも言及されてる。

音楽を評価することに徹する、という意味で審査員の責任は(審査員を選ぶ側の責任も)きわめて重大であり、支部大会や全国大会に出場するバンドとその指導者も、「お手本」としての責任の重さを肝に銘じる必要がある。

吹奏楽コンクールには競い合い、という側面があり各団体に評価が渡される以上、高い評価を得た団体を参考やお手本にするのは流れとしては自然なのかもしれません。

しかし、「高い評価=良い演奏」という式が成り立っていないとしたらそれはとても危険なことです。『評価』という枠からは逸脱しようとも、自分たちのやりたい音楽を目指し実現することが大切です。

評価は低かろうと、指揮者と生徒が一丸となってこだわりや信念を貫き通す、というのも魅力的な演奏へのひとつの道かもしれません。


4.全国大会出場団体の指導者の本音

(中略)ネット上で述べられたこの問題についての意見のなかに、「とある全国バンドの先生の発言」が紹介されていた。「こうやる方法が音楽的じゃないことは分かっている。けど、今のコンクールで"勝つ"ためには、割り切ってやらなければいけないことがたくさんある」
音楽的ではない演奏が「勝つ」のだとすれば、それは音楽のコンクールではない。

なんだか複雑ね。すっごく複雑。全部が全部「変なこと」をしてる演奏ではないんでしょうけど、これじゃ何が正しいのか分からなくなるわ。

まーだからあれだね、上位大会に駒を進められなかったからって気を落とさないでほしいね。進んだ団体が正しいとは限らないから。

そうは言っても悔しいものは悔しいよ。現状を変えるには、こういう現実を指導者も出演者も知るところから始めないとね。


コンクールで『勝つ』ことが第一義になると『音楽性』というものがおざなりになります。そうすると、指導者も本心から外れた指導をすることも出るかもしれませんし、生徒にとってもよくないでしょう。

この記事の執筆者、後藤洋さんは最後に
『音楽的ではない演奏が「勝つ」のだとすれは、それは音楽のコンクールではない。指導者が納得できないことを生徒にやらせているのだとすれば、それは教育ではない。それでよいのだろうか?』
と占めています。

コンクールに関わるたくさんの人がこの問題意識をもって取り組むことが必要でしょう。


5.おわりに

他校の回し者じゃなかったのね。

そ、そりゃそうだよ!変な疑惑やめてよ!
今思い出したんだけどね、昔全国大会にも出場したことのある知人の方が「コンクールの演奏?あんなの聴いたら耳が腐っちゃいますよ」って言ってるのを聴いて驚いたことがあるんだけど、今になって少しわかる気がするよ。

そうね。耳を腐らせないように、耳のご馳走になるような演奏を目指さなきゃ。

だったらいろんな演奏を聴いて感性も育てていかないとね。


吹奏楽コンクールの全国大会では毎年華やかに演奏が披露されますが、このような問題を抱えているのも事実です。指揮者はもちろんのこと、奏者や聴衆、その他関係者もいろんな音楽に触れ、『勝つ』ことが全てではないコンクールが実現するといいですね。

そのためには『勝つこと』を第一義とはしない団体やなにか強いこだわり/特色をもった団体の存在がキーになると思います。コンクールを奏者としても客としてもより楽しんで取り組めるといいですね。


このエントリーをはてなブックマークに追加

こんな記事もあります。

コメント (0件)

お名前
メッセージ

コメント欄